2006年10月19日

靖国神社と胡錦濤

 最近出版された、元上海総領事の杉本信行氏著「大地の咆哮」の中に、胡錦濤の「靖国神社シンドローム」という節があります。
 先日の安倍訪中時に見せた胡錦濤の友好ムードと、徹底した反日政策で共産党支配を維持しようとした江沢民の上海一派の排除に動き出したことなどと関連して、上記の一節を、それを含む第四章の抜粋とともに引用して見ます。
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引用開始
【最高の親日派だった胡耀邦】
 胡耀邦総書記の親日ぶりは広く知られるところで、当時の日本大使が一週間に数度も胡耀邦総書記と会う機会を持ったのはその証左であり、日中の蜜月ぶりは、北京赴任直後の私の目にもしっかりと焼きついていた。
 胡耀邦総書記がいかに親日派であったかの象徴的な例をいくつか挙げてみる。まず、強烈に脳裏に焼きついているのは、胡耀邦が鹿取泰衛大使の招きを受けて大使公邸を訪ねてきたことで、これは前代未聞の出来事であった。その返礼として、中南海の胡耀邦総書記の執務室に大使館員全員が招かれた。バイキング形式の豪華な食事が用意されて、当時北京では食べられないような日本料理まで揃えてあった。

 当時は日本から政財界人の訪中が相次いだが、北京大使館側が面会を要請するたびに胡耀邦総書記は常に快諾した。中国共産党の事実上のナンバーワンがそうした対応を見せるのはまさしく例外中の例外で、他国大使館では考えられないことであった。・・・・略・・・・

【鶴の一声で日本人学校が誕生】
 胡耀邦総書記の日本贔屓は、山崎豊子の「大地の子」にも反映している。作品中、中国の田舎の様子がきわめてリアルなのは、胡耀邦が山崎の取材を特別に許可したからで、そうでなければ絶対に書けなかったであろう描写である。だが、あまりにもリアルすぎて、『大地の子』は中国では発禁本となり、テレビドラマも放映禁止となった。

 その山崎豊子には、胡耀邦の前で「カニの横ばい」の真似をしたという逸話がのこされている。
 日本企業の第一次中国進出ブームにより急速に駐在員が増加、それにつれて北京の日本人学校に通う子弟も増加し、手狭になった学校をどうするかが深刻な問題として浮上した。当時の中国は、国内での外国人学校の運営を認めなかったため、窮余の策として、「不可侵権」を認めた外交使節団の公館たる大使公邸の中の一棟に学校を開設していた。
 最初は15人ぐらいから始めた教室が150人まで膨れ上がり、教師は、生徒の机と背中の黒板の間をカニのように横ばいに歩かなければならなかった。実際にそんな大変な状況にあった日本人学校を見た山崎豊子が、胡耀邦の前でカニの横ばいを実演すると、「なんとかしよう」と本当に胡耀邦が動いてくれたのである。

 胡耀邦の「鶴の一声」で、地元小学校の校庭の真ん中にベルリンの壁のようなものがつくられ、その半分が日本人学校用に手配され、大使館外に初めて外国人学校が建てられることになった。おそらく、当時、北京で暮らす日本人で、そこまでしてくれた胡耀邦に好意を抱かない者はいなかったはずである。

【胡錦濤の靖国神社シンドローム】
 いわゆる「靖国神社シンドローム」というものがある。
 当時の中曽根康弘首相と胡耀邦国家主席の両者がきわめて友好的な関係であったことは周知の通りだ。しかし、85年に中曽根首相が靖国神社を公式参拝すると表明、胡耀邦としては完全に裏切られた格好となった
 それで胡耀邦は中国共産党上層部から「あんな甘いことをやっているからだ」と攻撃の矢面に立たされることになった。もっとも「敵は本能寺にあり」で、実際には権力闘争の一環で、胡耀邦の足を引っ張ることが主眼だった。
 だが、少なくとも中国の内政上、日本と親しくなりすぎたことはマイナス評価になったわけで、それが決定的な要因かどうかは別として、胡耀邦が権力の座から追われた理由の一つとなった。

 もう一つは84年10月の国慶節。ちょうどこの年は中華人民共和国の建国35周年にあたり、天安門広場で盛大な革命記念パレードが行われた。この記念式典に胡耀邦総書記は独断で日本から青年三千人を招き、日本人が天安門の両脇の観覧席を占拠した。共産党の指導者による空前絶後のもてなしが、その後、彼が失脚するもう一つの原因となった。

 ところで同じ「胡」姓の現在の胡錦濤国家主席。
 総書記時代の胡耀邦により、胡錦濤は初めて中央に引き上げられた。胡錦濤は後述するように、胡耀邦の息子と党学校の同窓生で、昔から非常に親しい関係にあったわけで、今日胡錦濤があるのも、胡耀邦あればこそであり、否定しようがない。

 それまで14年間、甘粛省の水利関係の地味な仕事に携わっていた胡錦濤は、胡耀邦により全国青年連合会の書記に抜擢され、やがて第一書記となり、共産党のエリートコースに乗った。
 胡耀邦が独断で84年10月の建国35周年パレードに日本人三千人を招待したとき、その受け入れ側事務方のトップとして手腕を発揮したのが胡錦濤であり、じつは日本とは因縁浅からぬ関係にあるのだ。

 だが、彼の大恩人である胡耀邦総書記は、85年8月15日、突然窮地に立たされた。胡耀邦が靖国問題を契機に失脚したことを目の当たりにした胡錦濤が、小泉純一郎首相の靖国神社参拝にきわめてナーバスになっている根っこがここに存在する。
 しかし当然ながら、胡耀邦総書記が失脚した理由は、彼が親日派で日本に肩入れしすぎたことだけがすべてではない。
・・・略・・・

 87年1月16日の政治局拡大会議で、胡耀邦は、集団指導原則、政治原則の誤りを追求され、辞任に追い込まれた。・・・・・
 「胡錦濤は胡耀邦と同じ失敗を靖国問題でしでかしてはならないという意識を強烈に抱いている」と事情に通じた中国人は異口同音に語る。靖国パラノイアではないが、まさに胡耀邦がはまった陥穽を胡錦濤周辺の人々は非常に怖がっていると聞くという
 胡錦濤が日本の要人と会いたがらないのも、これが遠因だとしたら悲しいことである。
引用終わり

 これは著者の見方とはいえ、かなり説得力があるようにも思えます。今、上海の江沢民派の追い落としに乗り出したと見られる胡錦濤が、日本に対して本心でどのような考えにあるのか、なかなか考えさせる内容の本でした。
posted by 小楠 at 07:51| Comment(2) | TrackBack(2) | 書棚の中の中国
この記事へのコメント
確かに説得力がありますね。

>胡耀邦が靖国問題を契機に失脚したことを目の当たりにした胡錦濤が、小泉純一郎首相の靖国神社参拝にきわめてナーバスになっている根っこがここに存在する。

う〜ん、当分のあいだ靖国問題は、解決できないような雲行きですなぁ。
Posted by おしょう at 2006年10月19日 16:42
おしょう様
胡錦濤が、胡耀邦の親日政策のプラス面を評価しているか、マイナス面を恐れているか、その相対的度合いによって、これからの対日策を見るというのも、興味ある見方かも知れないですね。
Posted by 小楠 at 2006年10月20日 07:47
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